5分でわかる!ベトナムの歴史!(ベトナム戦争)

どうも!トムです

本日はベトナムの歴史について最近学んだのでそれを簡単にまとめてみました。
ベトナムの歴史を学ぶ上で外せない大きな出来事と言えば、「ベトナム戦争」です。そこでベトナム戦争を中心に、前・ベトナム戦争・その後で、北・中・南部の3つのエリアをどこが支配していたのかを追いながらまとめてみました。

年代別に分かれて書いていますが、最初の「流し読みハイライト」だけ読めば流れが理解できるはずです。

5分でわかる!ベトナムの歴史!(ベトナム戦争)

流し読みハイライト

現在の私たちが良く知るベトナム社会主義共和国(以降:ベトナム)ができたのは1976年、ほんの約50年前の出来事です。現在のベトナムの形が出来上がったのは、1800年頃の阮朝(グエンチョウ)・清時代です。この時は今のベトナム全域を阮朝(グエンチョウ)が治めていました。

しかし1860年頃フランスがベトナムの南部ダナンを襲撃し、侵略が始まります。そこから度重なる戦争の中で、ベトナム国内の領土を互いに占領し合います。そして1884年の清仏戦争でフランスが勝利するとそこから約60年間フランスによる統治が続きます。この時に流れてきたフランス文化が今でも色濃く残っており、ベトナムには多くのフランス料理(ビストロ)や西洋建築が今でも存在しています。

待ちで見かけたビストロ「Chura」

サイゴン大聖堂

フランスが第二次世界大戦でドイツに敗れると、日本がフランス植民地の解放軍として進駐します。しかし、第二次世界大戦の日本敗戦に伴い撤退。時同じくしてホーチミンがでベトナムの独立宣言を読み、ベトナム民主共和国が誕生します。(この時ホーチミンが読んだ独立宣言の全文とその和訳がこちらのサイトにありました。)

ホーチミンの独立宣言

独立宣言の文書

しかし、第二次世界大戦で戦勝国となったフランスが再びベトナムを植民地にしようと戻ってきます。1954年フランスがホーチミンによって結成されたベトナム独立同盟会「ベトミン」に敗れると、北緯17度より北をホーチミン政権に譲ります。そのフランス撤退に目を付けたアメリカが南を支援、ゴ・ディン・ディエムを大統領に立て、南にベトナム共和国設立します。こうしてホーチミンによる北のベトナム民主共和国と、アメリカから支援を受けるゴ・ディン・ディエムのベトナム共和国による戦争へと進んでいきます。

始めの内はアメリカ軍は南ベトナムへの軍事介入であったが、ケネディ大統領が暗殺され、ジョンソン大統領に変わると戦争に直接介入するようになりアメリカ軍の北爆によりベトナム対アメリカのベトナム戦争に突入します。ベトナムはアメリカ軍に対して、北ベトナム人民軍とベトコン(南ベトナム解放戦線)がゲリラ戦を展開します。アメリカ軍は後に大きな問題となった枯れ葉剤作戦に対する問題視に加え、多くの資金や人を投入したことによる財政赤字によって、アメリカ国内でベトナム反戦運動による大規模なデモが起こります。

その流れを受け、アメリカ軍が全軍撤退。それと同時に当時のベトナム共和国の大統領が無条件降伏を宣言し、北ベトナム軍の戦車が、南ベトナムの大統領官邸に突入、サイゴンが完全に陥落し、ベトナム戦争が終戦を迎えました。開戦から約20年の月日が流れていました。

旧南ベトナム大統領官邸(現:統一会堂)

そして、南北統一後はベトナム民主共和国をベトナム社会主義共和国に改めました。社会主義国家として政治活動を進めてきたものの、1986年にドンモイ政策がとられ、資本主義の考え方が入るなど、現在のベトナムの経済成長を遂げています。そしてASEANへの加盟だけでなく、1995年にはアメリカとの国交も正常化されました。

以上。ざっくりですがまとめてみました。
この学びを元にホーチミン市内を観光しました。やっぱり歴史を知り、現地を回ると少し見え方が変わってきます!よろしければ、現地観光の参考にしてください。ここからは勉強のメモ書きです。時間があれば目を通してください。

まとめ

以上。ざっくりですがまとめてみました。

この学びを元にホーチミン市内を観光しました。以前カンボジアのプノンペンに行った際にはあまり歴史を学ばずに現地の観光をしてしまい、後にポルポト政権の話を知り、今はまた行きたいという気持ちです。やっぱり歴史を知り、現地を回ると少し見え方や見るポイントが変わってきます!今回学んだうえでベトナム戦争証跡博物館へ行ってきました。(一部その際に撮影した写真を使用しています。)
少しでも学んでいたので、どんな内容かを理解しながら見ることができました。よろしければ、現地観光の参考にしてください。

ただここからは勉強のメモ書きです。時間があれば目を通してください。また、何か間違っているメモがあれば指摘して頂けますと幸いです。

また時間を見つけて実際の観光の様子や、おいしかったご飯屋さんなどもまとめてみようと思います。

本ブログも読んでくださりありがとうございました。

Tom Yoshida

メモ:阮朝(グエンチョウ)・清とフランス

1802年
ベトナム王朝が統制(中部のフエが都)
阮朝(グエンチョウ)・清が北・中・南部を支配。

1858年
コーチシナ戦争により仏西連合軍がダナンに侵攻。本拠地をサイゴン(ホーチミン)とした。この頃に西洋文化が入り始めた。
北・中部は阮朝(グエンチョウ)・清が支配。
南部では、阮朝(グエンチョウ)・清とフランスが戦争。

1873年
1.フランス軍がハノイ占拠
南部: フランスが支配
2.国家群が反撃、フランス撃退
3.1882年フランスが再度占拠
ハノイは清とフランスによって何度も占拠が繰り返された。

中部: 阮朝(グエンチョウ)・清が支配
北部: 阮朝(グエンチョウ)・清とフランスが占拠し合う

1883年
清仏戦争で清が勝利し北部を治めるも、負けたフランスは中部フエに攻め込む。
北部: 阮朝(グエンチョウ)・清
中部: 阮朝(グエンチョウ)・清とフランスが戦争
南部: フランスが支配

1884年
甲申条約が締結。南部に加え中部もフランスの支配下になる。
北部:阮朝(グエンチョウ)・清
中・南部:フランス

メモ:フランスの支配と独立運動、ベトナムの南北分断へ

1885年
フランスがそのままベトナムを保護国化。さらにフランスが清仏戦争に勝利し、天津条約締結。ここから60年間フランスの統治が続く。
全域: フランス

1939年第二次世界大戦勃発
1940年
日中戦争の最中、ドイツがフランスに勝利し、フランス植民地支配の解放軍として日本がベトナムに進駐。
・なぜ日本はベトナムへ進駐したのか?
第二次世界大戦当時、日本は日独伊の三国同盟締結中。ドイツがフランスに勝利したことで、同盟国である日本も戦勝国として植民地解放の権利を得た。
ベトナムは、日中戦争の間アメリカが中国へ行っていた物資支援の中継拠点となっていたため、物資支援を断つべくベトナムを抑えようとした

*この頃ホーチミンはベトナム独立連盟(ベトミン)を指導し民族運動を展開。
全域: フランス・日本

1944年
干ばつによる大規模飢餓が発生。200万人超えの餓死者が出た。
日本・フランスはベトナムの為に何も対策を取らず期待を失ったのに対し、ホーチミン支持するベトミンは市民のために動き支持を勝ち取っていった。
・飢餓の背景:当時日本は、軍事品運搬のために麻袋を必要としており、侵攻していたベトナムの米農家に、米ではなく麻作りを強制していた。
また、駐在している日本軍のための食糧として米を農家から大量に買い占めていた。そんな折、大干ばつが起こり、ベトナム人への米の供給が確保できず飢餓が広がってしまった。
全域:日本

1945年
8/14
第二次世界大戦で、日本が降伏予告。
ベトナム民族解放委員会が設立され、ベトナムの父、ホーチミンが主席に選出。
8/14
ベトナム帝国皇帝バオ・ダイは退位を宣言し、ベトナム王朝が途絶える。
9/2
日本降伏→第二次世界大戦終了
ホーチミンがベトナム独立宣言を読み、ベトナム民主共和国の誕生を宣言。
全域: 戦後の統治混乱

9/2
フランスが認めず再度植民地化
・三国同盟国である日本の敗戦によりフランスは戦勝国となり、再度フランスがベトナムを植民地化しようと舞い戻ってきた。当時ベトナムは共産主義で、同じく共産主義国であるソ連・中国からの支援を受けられる状態にあった。一方、ソ連と東西冷戦下にあったアメリカは、共産主義国が増加するのを恐れフランスに加担。事実上の米ソの代理戦争の舞台となった。
第一次インドシナ戦争(フランスと独立を勝ち取る為の戦い)
全域:ベトナム民主共和国とフランスが対立

1954年
フランスはディエンビエンフーの戦いに敗れ
ジュネーブ休戦協定(インドシナ休戦協定)
・フランスは1万6千もの兵をディエンビエンフーに配置。滑走路をつくり、軍事拠点としていた。ベトナムは、この軍事拠点を抑える為、ディエンビエンフーを4万もの兵で包囲し、大砲などで滑走路を破壊。フランス兵を1万人も捕虜にすることで降伏を迫った。結果フランスは降伏せざるを得ず、休戦という形で終わった。
フランスは北緯17度より北をホーチミン政権に譲る。
フランスに変わってアメリカが南の政府を支援し、南北に分断
・フランスは休戦後、そうそうに軍を引き揚げた。その結果フランスの空きに目をつけた支援国アメリカが政権を握り、南ベトナムの政治を始めた。
北部:ベトナム民主共和国(中・ソ)
南部:フランス→アメリカ

メモ:アメリカの政権とベトナム戦争

1955年
南にベトナム共和国設立
大統領はゴ・ディン・ディエム(1963年クーデターで暗殺 )
・ゴ、ディン、ディエムはクリスチャンで、仏教嫌いの人物。当時仏教が主のベトナムに対し、宗教的弾圧をかけ、国民の反発を仰いだ。その後もアメリカは繰り返しベトナム軍を焚き付けては軍事的支配を繰り返し、アメリカ政府に対する国民の不満が募った。その結果、共産主義を中心とした反政府支持者達が、ベトナム独立を目指して結集。南ベトナム民族解放戦線が結成された。南ベトナム内で、政府軍と民族解放戦線の戦争が始まった。

1965年
アメリカ軍の北爆によりベトナム戦争開戦
・アメリカ軍が誤って領海を侵略したことから、北ベトナムとアメリカ軍との戦争が勃発。北ベトナムは、打倒アメリカとして、ベトナム自体からアメリカ勢力を排除すべく、南ベトナムで戦っている民族解放戦線と手を組み、反政府軍との戦いに拍車がかかった。
社会主義国と資本主義国の対立の象徴
北はベトコンを南ベトナムに作りゲリラ戦を展開。
北部:ベトナム民主共和国(中・ソ)
中部:対立
南部:ベトナム共和国(アメリカ)

戦争は年々拡大し、ベトナム戦争はアメリカの戦争に拡大。密林でのゲリラ戦に悩んだアメリカが1967年から大規模にダイオキシンなどの薬剤を使用した「枯れ葉剤作戦」が行われた。
これはのちに多数の癌患者や奇形児出生が発生し問題となった。(代表的なのはベトちゃんドクちゃん)

この枯れ葉剤作戦に加え、アメリカは財政赤字が増え続けていたことが原因でベトナム反戦運動が日増しに高まり1967年にワシントンで大規模なデモが開かれる。
・1968年1月30日(ベトナムの旧正月)に、民族解放戦線6万人が決起し、アメリカを倒しにかかる。アメリカ大使館を占拠したところがアメリカ内で報道されると、それまで勝利目前と感じていたアメリカ内部の人々は戦況がまるで違うことを知り、反戦運動をおこす。

メモ:ベトナム統一から現在

1968年
ジョンソン米大統領は北爆の停止、和平交渉に入る。
1973年
パリ和平協定(ベトナム和平協定)
1975年
南ベトナムのサイゴンが陥落
ベトナム戦争終戦
サイゴン→ホーチミンへ改名
1976年
南北ベトナムが統一
ベトナム社会主義共和国

 

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