どうも!トムです。
急な政府の発表により、今週末からの営業再開となり急ピッチで直前準備を進めてきました。
何とかほとんど終え、明日1日を利用してスタッフのサービスチェックとアドバイスをして営業再開です。ワクワクです。
(選挙の影響で早まったなんて噂もありますが、理由は何にしろ嬉しい限りです。)
さて、そんな変化の中には、常に大小の問題が起こります。自然な出来事ですね。ふと今日はそんなMTGが多かったので、その中で伝えた話を簡単に整理しておきます。
ざっくり読むための見出し
「事実と解釈」と「正論と人情」の話
「事実と解釈」
まず多くの仕事には、チームがあり、そこには人が存在しています。個人で行っているのであれば、こんな問題が起こらないのでしょうが、人が多ければ多いほど、その間には問題を生む幅があります。
それはそうですよね。生まれも育ちも、受けてきた教育も全く違う人が今肩を並べて仕事をしているのですから、様々な問題は生まれます。これは非常に自然なことです。それを防ぐために会社には、理念やミッションなどの会社の柱が設けられ、「正義」が伝えられて、そこから大きく外れないような仕組みが作られています。
(この辺の話は今日はおいておきます。)
しかし、それでもやはりコミュニケーションには「ミスアンダスタンド=誤解」がどうしても起こります。
これをできるだけ減らし、問題を解決する方法が「事実と解釈」を分けるということです。
”スタッフの働き方が悪いです。”
”スタッフの遅刻が多いです。”
”店長が平等に扱ってくれません。”
”私にだけ話し方が冷たいです。”
”あの人は仕事ができません。”
これらはすべて当人の解釈です。
”スタッフの働き方が悪いです。” → 具体的にどういうことを指しているの?
”スタッフの遅刻が多いです。” → 多いっていうのは具体的にいつ?
”店長が平等に扱ってくれません。” → どんなことがあったの?
”私にだけ話し方が冷たいです。” → 具体的にはどのような店長の行動に対してそのように感じるの?
”あの人は仕事ができません。” → 何故そう感じるの?
こういう場合こういったことを明確にしていかなくてはなりません。
何が解釈で、何が事実かをはっきりとさせて、コミュニケーションで起こる問題解決には取り組まないと、問題がより大きく発展し、かつ複雑化し、本来の問題からずれてしまう。なんてことも起こります。
話は聞きながらも、常に「事実と解釈」は分け、事実をもとに判断していかなくてはいけません。
ただ、今1つの事実としてあるのは、この相談者が「上記のような解釈」をしているというのは1つの事実です。
例えば、”店長が平等に扱ってくれません。”ということを相談してきたスタッフがいたとします。
これに対して、
”具体的にどういう行動に対してそう感じるの?”と質問をしたとします。
”○○さんへが遅刻した時は「遅刻したらダメだよ~。」という軽く言っただけなのに、私には怒ってきたんです。”
と回答が返ってきたとします。
めちゃくちゃ幼稚なやり取りな気がしますが、問題提起しなかったにしても、職場でこのような感情を抱いたり、もしくは部下から近しい相談を受けたことがある人もいるのではないでしょうか。
でも読んでみるとわかりますが、これもまた解釈です。そして、事実かどうかわかりません。またこれは確認のしようがありません。店長に、”こういう扱いしたの?”と聞いても、十中八九”してないですよ。”と返ってきます。また、これはもう過ぎ去ってしまったことなので、人々の記憶のなかにしかなく、それは解釈を含んだ表現でしか返ってきません。
ただ事実は、こういったやり取りを通じて、「”不平等だ”と感じているスタッフがいる」ということです。また、スタッフは遅刻をしたという事実もわかります。
こんなくだらない事!と読んでて思う人はいると思いますが、だいたい解決しないコミュニケーションの問題はこういったことが複雑に絡み合って起こっています。
(これまでの僕の経験上ではほとんどそうでした。これからの人生で違うことを言い出すことは大いにありますが…。)
かしこくなればなるほど、問題や解釈を巧妙に隠し、事実と解釈を織り交ぜ、表現してきます。沢山の枝葉をまとったせいで、問題の本質が見えないことはよくあります。だから、最近は特に「事実と解釈」を意識的に切り離すようにしています。
これができるようになると、よりロジカルに問題が見えてくるので、一見難しい問題も簡単だったりすることが多々あります。しかし、ここで次に違う問題が浮上します。
「正論と人情」
次は「正論と人情」という話です。
これまで問題を解決するためには「事実と解釈」を分けることが大切だと書いてきました。しかし、事実に基づいた正論を持って、今目の前にいる問題提起者に話をするとどうなるでしょう。
先ほどの話で言えば、
”いいか。お前が言っている「店長が平等扱ってくれない」というのはお前の解釈だから知らん。この声は念頭に置いて、店長の行動は見ておく。だがそもそもな、なんでそんな問題が発生したのか考えてみろ。お前が遅刻したことが原因だろ。人をとやかく言う前にお前が遅刻しなきゃいい話だろ。”
まあ、間違いないです。遅刻しなければこんなことにはならなかったわけです、
これはシンプルなので、こんな感じですが、もっと理詰めで解決できるコミュニケーションの問題もあるでしょう。
こうやって伝えられたスタッフが
”そうだ。俺が遅刻したのがいけなかった。反省して次から遅刻しないようにしよう。”
と、このアドバイスを素直に受け取って反省するでしょうか。
まずそんなことはないでしょう。そんな人だったら、遅刻して怒られて、こんな感情にまずなっていないでしょう。
しかも、問題が複雑化し、頭から煙が見えるくらい感情が乗っている人であれば、こんな風に正論で論破されると、噴火します。そして思いもよらぬことに飛び火し、問題が大きくなり、泥沼化することもあるでしょう。(ありました。)
こういった経験から、どうも「正論でただ説き伏せればいいわけではない。」ということを学びました。
ここからがまだまだトライとエラーの連続ですが、どうもそれが日本的に言えば「人情」ということらしいです。
相手の気持ちに共感する。事実にだけでなく、感情にも訴える。
感情は目に見えないので非常に難しいです。
でも、簡単に言えば、話を聞いてもらえる人間関係を築いておくことが大切なのではないでしょうか。
まとめ
人と共に働くというのは非常に困難も多く、なかなか自分の思い通りにいかない事ばかりです。
でもそれ以上にこの上ない幸せでもあります。
1人ではできないことを成し遂げるために、多くの人と力を合わせ、世の中に少しでもインパクトを残せるような仕事をしていきたいものですね。
今日は「事実と解釈」と「正論と人情」の話でした。
まだまだ人生長い。沢山学び良い道を見つけて行きます。
あなたは目の前の問題をどのように解決していますか?
Tom