どうも!
元雑草プロサッカー選手、現在雑草シンガポール駐在員のトムです。
先日母親から、「あなた最近ブログがカフェとか、香港とかの旅行の事ばかりだけど働いているの?」と連絡が来ました。意識的にそういったシンガポールの投稿を増やしていたのですが、いらぬ心配をかけているようなので今日は仕事の話を書こうと思います。
実は3月15日を以てDr.ストレッチ・サンテック店の店長をDivyaというとても優秀なスタッフに引き継ぐことになりました。2016年3月にDr.ストレッチ・西宮ガーデンズ店の店長に就任してから今月でちょうど2年でした。
もし…
これまでの経験を持って西宮のオープンを迎えていたら、きっともっとお客様の為になるお店を作れたはずです。そして会社に貢献できたはずです。その結果スタッフの未来ももっと大きいものになっていたと思います。
とにかく結果に拘り続け、成功とその裏では反省と課題の多い時間でした。だから今日の内容は、2年前店長になったばかりの自分に読ませたいノンフィクションの物語です。
先に申し上げますと、本日の内容は大変長いです。そして社内の方には関係があるかもしれませんが、いつもブログを読んでくださっている方、シンガポール ブログから来られた方からすると全く意味のない内容かもしれません。もし、興味ないなって方はこちらからシンガポールの別記事に飛んで頂ければ幸いです。
勘違いで突き進むバカヤローな店長の2年間
はじめに
ちっぽけなプライドなんて捨ててしまえ
フュービックに入社したのは2016年5月。大学卒業後、プロサッカー選手として海外を渡り歩き、帰ってきて少し経った時でした。就職もせず絶賛フリーター人生を歩んでおり、その時もアルバイトに向かう途中たまたまもらったビラがDr.ストレッチのビラでした。
それをきっかけにアルバイトとして入社。でもその当時はいくつもアルバイトを掛け持ちしており、まさか社員になり、店長になり、海外に行くなんてこれっぽっちも思っていませんでした。そんな絵にかいたようなフリーターの私が、唯一誇れたものはサッカーで培った体力だけでした。
技術はもちろんのこと、知識も経験もない。しかもほかのアルバイトと掛け持ちだったため、研修は途中参加か、早退の日々。まともに1日研修に参加したのは数日。しかも一度寝坊して、「寝坊しました」って連絡したら「素直だから許す」って言われた。そんな明らかに戦力外選手にも関わらず会社は雇ってくれました。あの時首になっていたら今の僕はありません。
そしてアルバイトとして最初に店舗デビューを果たしたのは、現在横浜FCの専属トレーナーを務める樋浦トレーナーが店長をやっていたDr.ストレッチ・西梅田店でした。ここで後にシンガポールで一緒に働く番上さんと出会います。店舗研修生ながら、勝手に集客をし、お客様を集め、1週間でしっかりと結果を出しました。
この時テンションと勢いだけでやっていたことは後に非常に生きてきます。お客様に興味を持ってもらいお店に引き込むために大切なことは「違和感」です。「なんか違う」この感覚が通行人をお客様に変える第一歩です。これを何も考えずに作り出せていたのは非常に当時の結果に繋がりました。
ただこの時足りなかったことは、「お客様の身体に触る事」です。僕らの武器は、技術のはずなのに必死に言葉で納得してもらおうとしてました。でもそれはシンガポールに来て全く通じませんでした。そんなときに見出したのが、とにかく体に触ってどこでもいいから施術してしまう。そうするだけでお客様の反応は一気に変わりました。
今の僕が見たら「もっと頭使えよ」と思うのに、この時は、「結果出すの簡単じゃん!」と調子に乗っていました。そして、調子に乗ったまま無事研修を終え、京都イオンモール店へと異動します。
先輩トレーナーとの差を1秒でも早く埋めるべく「誰よりも多く施術する」を心に、No.1トレーナーへの道が始まります。配属初日から長らく来店されていないお客様にテレアポするなどし、武器である体力にものを言わせてとにかく自分の予約を埋めました。
その結果、配属初月から売上で1,000人近くいるトレーナーの中でトップ10に入り、拘っていた施術時間でもトップ10に入りました。その翌月に社員になり、その4か月後には店長のプレゼンに出場。そして当選。晴れて3月オープンの西宮ガーデンズ店での店長になる事が決まったわけです。
この間1度も単月売上100万を切らず、毎月施術時間は150時間以上。まさに挫折を味わうことなく一気に店長までの道を駆け上がりました。こうして見事に勘違いで、バカヤローな店長が誕生しました。そしてさらに勘違いが深まるなんて、この時まだ知る由もありませんでした…。
話が少し戻りますが、トレーナーとして最初に掲げた「誰よりも多く施術する」。これに気が付けた当時の自分に感謝です。これは今でも強く感じていること。Dr.ストレッチが圧倒的No.1のストレッチ専門店である1つの理由は、他のストレッチ店に比べてすべてのスタッフがたくさん施術しているところにあると思います。
ただ、褒められるのはそこだけ。個人の結果に拘り過ぎでした。お客様あっての僕たちトレーナー業が成り立ちます。もっとお客様の身体にあった提案や、施術ができたはずです。思い返しても悔やまれるお客様が5人はパッと頭に浮かびます。こういうのは一生忘れないのだと思います。もっと「目の前の瞬間に集中しろ」。
店長人生もスタートは非常に順調です。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いです。しかし人生そう甘くはありません。店長になり、初めての挫折を味わいます。
人を信じることも嫌になりました。そんな経験をしても、苦しい想いを味わっていても、ちっぽけなプライドが邪魔をして、人のせいにして変われない自分がいました。それでも変われない僕に神の鉄槌が下りました。
それがキッカケで初めてしっかり自分と向き合えた時に、初めて「店長」という仕事が本当に楽しいと思えました。今だから言える。成功体験からより、失敗や挫折からの方が圧倒的に学ぶことが多い。だからくだらないプライドを捨てて、早くたくさん経験したほうがいい。そして、しっかり乗り越えろ。
勘違いヤロー全盛期
勘違いを形にした計画書
そうこうしてトレーナーとして大して大きな挫折も味合わぬまま店長になった私が最初に行ったことは、半年分の店舗計画作成でした。会社の事業計画を受け取る前に、こんなお店にしたいという物を作成しました。西宮ガーデンズは新規オープニング店舗の為、全く情報はありませんでした。だから参考にするべきは過去の自分の数字のみ。
それをスタッフ人数分で計算し、自信満々に作成した計画はまさにバカヤロー計画そのものでした。「圧倒的結果を出す」とスタッフに豪語し、とにかく夢を、理想を、思いを語り続けました。そして目標は達成できるとただ毎日言い続けていました。
今思い返せば無茶苦茶な計画です。後に渡された事業計画の約160%の目標設定です。でも実はこれが非常に良かったように思います。お店のトップである店長が「明確にビジョンがあること」が非常に重要だったと思います。
そしてそれが「ワクワクするもの」であることが非常に重要だと改めて今当時を振り返っても思います。あの時に何故あんなに必死になれたのか?何故毎日倒れるほど働けたのか?それは自分たちの未来にワクワクしていたからだと思います。
ただ、オープン初月の目標数字はDr.ストレッチ史上最高の売上金額。それに挑むのは、新人店長の私、トレーナー歴1年の2人、新人トレーナー6人の合計9人です。計画書はまさに雑草集団の夢物語でした。私の根拠のない自信だけが伝染していました。
華々しい西宮ガーデンズオープン
そして迎えたプレオープン当日。多くのベテラン店長陣のサポートを受けて、店内はお客様で常に溢れ、無料体験を受ける為に、1時間以上待ちになるほど大盛況です。私も含めトレーナー全員息つく間もなくお客様に入り続けました。その結果オープン当日には、予約表はパンパンに埋まり、他店舗からのヘルプを要請するほどでした。
そうです。これがまた勘違いを生みます。「ほら余裕じゃん!」でも実際は今思えばこれがさらなる勘違いだったのです。ただ、立地が良く予定よりも多くのお客様に来店いただけたこと。そしてヘルプに来てくださったスタッフが素晴らしい活躍をしてくれただけ。実は自店舗の数字だけを振り返ると計画とは大きくずれが生じていたのです。
何はともあれ西宮ガーデンズは素晴らしいスタートを切りました。そのまま勢いは衰えず、オープン初月の目標Dr.ストレッチ史上最高の売り上げを最終日午前中で達成します。当時の西宮のスタッフは鮮明に覚えていると思いますが、そこからは「レジェンドタイム」。新しい伝説を伸ばす時間でした。
この時に「大きな目標をみんなで達成した経験」は今でも宝です。あの達成した日の高揚感は今でも鮮明に覚えています。あの日に食べた焼肉ほどおいしい焼肉はなかったでしょう。それほどまでに全員が全力で取り組んだ1か月でした。
でも、今思えばあの時にできてなかったことが2つあります。1つは、「感謝」。自分のお店にスタッフにかなり無理をさせていました。そして、他店舗にも迷惑をかけました。その上であった目標達成ですが、その感謝の気持ちが不十分でした。
そして2つ目が、「成長する環境作り」です。全員がお客様に入り続けている。それは非常に素晴らしいことですが、お客様目線に立ってみれば、スタッフには成長してもらわなくては困ります。なんせほとんど全員が新人なので…。その為の店舗内で成長するための環境を作れませんでした。
チャンスは突然に
そして怒涛の忙しさを乗り越えた5月。黒川社長から連絡がりました。「今度の千里中央店で話せる?」それは西宮ガーデンズ店の次のオープニング店舗千里中央店へのヘルプ勤務の日でした。当日少し緊張しつつ、お店に行くき、朝の朝礼が終えるとすぐに黒川社長とカフェへ…。
「シンガポールに店長として行ってみようか」。突然の出来事だった。生意気にもアルバイトから社員になるときも海外勤務の希望の旨は伝えていた。そして少しでも候補に残りたいと日報はへたくそな英語で書いていた。そんなアピールはしつつも、まがい也にもプロの世界で生きてきた僕にとって結果がすべてであることは理解していました。
ずっと「シンガポール1号店の店長で行きたい」と言い続けていました。確かに圧倒的と言える結果を出した自信はあります。でも…まだまだ1か月とちょっとの経験の新人店長。しかも、調子に乗った絶頂期と来ている。
僕が社長だったら怖くてこんな店長選べないです。でも、僕らフュービックの黒川社長は違いました。本気で言ってくださった。そして、今後のアジア展開の未来を熱く語り、夢を語り、思いを託されました。その時の一番記憶に残っている言葉は…
理想があっても今の事をおろそかにしない。目の前の事に全力を尽くせない人に未来のチャンスはやってこない。その大切なことをしっかりとやってくれた。だからトムを信じてみようと思う。
黒川社長が覚えているかは知らないが、僕にとってはものすごく心強い言葉でした。
そうして異例の速さでシンガポール行きが決まり、7月半ばには助けてもらった西宮ガーデンズ店のメンバーや、関西エリア、本社に別れを告げ、シンガポールの仲宗根社長とシンガポールの地へ移り住みました。未来にワクワクし、夢を描いての旅立ちでした。
こうやってシンガポール行きの切符を掴んだ僕だから伝えられることがあります。それは黒川社長が常日頃から言っている。「頑張った奴には何かしてやりたい。そういうもんだろ。」という言葉をまさに形にしてもらった経験です。
会社の現状やお店の状態いろんなことが複雑に絡まっているからこそチャンスがどのタイミングで与えられるかは分からない。だからこそ、チャンスがあるから頑張るのではなく、来るかわからぬチャンスを掴むために頑張り続けることが大切です。
チャンスが来てから頑張るなんて誰でもできる。でもそのチャンスを作った背景には、この人にこんなチャンス上げたいよなって思いが背景にはあるはず。だからスタートの時点で、すでにヨーイドンではないのだと思います。「チャンスを与えたい」そう思える人でいる事。
ただ、僕はシンガポールに来てこれを見失います。思考が逆になりました。チャンスを上げて頑張ってもらう。それでは短期的には良くても長期で見るとデメリットばかりでした。チャンスを得れたたった1人はモチベーションが上がり、得れなかったものは不貞腐れモチベーションが下がる。
身をもって体験しました。リーダーは夢や理想を語り、一緒に仲間と同じ方向にある夢を見て、情熱持って働くことが非常に大切です。シンガポールに行って忘れるなよ。とこの時の自分に伝えたい。
地に落とされても折れないプライド
2016年12月店舗大荒れ
そしてシンガポールでの研修を終え、無事にオープン。初月もしっかりと結果に繋げ未来が開けたように感じた…のは束の間。オープンから1か月経った12月。事件は起こりました。
私のマネジメントを良しと思わない3人を中心に徒党を組み、仲宗根社長へ直訴。そしてミーティングを行った後、全員に謝罪と業務の改善を行うこととなります。この行動が後々首を絞める事にはなるのですが、この時はただ受け入れざるを得ませんでした。
もうお店で私の信頼は底辺です。ほとんどのスタッフからの信頼は皆無に等しい状況でした。何を言っても相手にされない。「お前は年下くせに!」や「文化の違いだ。」や「シンガポールではこれが普通だ。」会話がこれで終わってしまう。
この12月ほど逃げたい。帰りたいと思ったことはこの先2年間ただの1度もありません。それほど私にとって苦しく、長い1か月間でした。成功しか見てこなかった私にとって思いもしないスタートとなりました。しかし、これはほんの序章にすぎませんでした。
この時の反省が猛烈に生きていることが1つあります。それが「厳しいことを緩めるのは簡単だけど。逆は非常に難しい」ということです。
この時にシフトコントロール・遅刻・休み・空き時間の過ごし方に対して急激に緩くなりました。しかし、それではやはり風土は作れないもので徐々に問題となって浮かび上がってきます。この12月にふっと緩めた握力のせいで、今に至るまでこの問題とは格闘を続けています。
自分の信念を貫けなかった一瞬で後悔していることが今でも非常に悔しいです。「こんだけ悪者扱いされるならもういいや!」この一瞬の気持ちに負けた自分が情けないです。
退職者続出
そしてこの12月のミーティングを期に少しずつ流れは悪い方向へと進み始めました。そのことに気付いたときにはもうブレーキはかかりません。毎日様々な原因で、いろいろな人が炎上し始めました。
遅刻者や急な休みを取る人が増えはじめ、真面目に働いている人が馬鹿を見るようになる。それでもはじめは頑張ってくれていたものの、少しずつ我慢の限界に達する。そして店舗内で派閥が生まれ、陰口を言い合うようになる。
しかし、12月に謝罪してしまっている手前強くは言えず、ただ葛藤する毎日。日に日に頑張っている人がもっと頑張らなくてはならなくなり、さぼる人がもっとさぼるようになる。その頑張っていた人が怪我をした。
その1人の怪我を皮切りにどんどん広がり、気づけば店舗内はけが人だらけ…。毎朝誰が勤務をするのか。何時に来るのか。本当に来るのか。ケガはないか。何人施術できるのか。意味も解らぬ確認を日々し続けた。
そんな中で1人…また1人と退職者が出始め全く止まらない。それぞれが理由を述べて退職していったが結局すべてはこの環境を作っている私の責任以外なにものでもなかったです。それがわかっているけど、止め方もわからない。毎日が葛藤の日々でした。
こんな苦しい状況で毎日「こんなことをする為にシンガポールに来たんじゃない」と思い続けていました。それでも心折れることなく今日まで来れたのは、見放さずに助けてくれるスタッフが居たからです。
それが今の各店舗の店長や副店長です。本当に私にとっては今でもシンガポールでこうして頑張っていられるのはこのスタッフたちのおかげで、まさに恩人のような存在です。
このスタッフたちが毎日私に言ってくれていました。「ストレスをシェアして!」でもこの時は素直に頼れずに、「大丈夫!No problem.」と言い続けていました。これだけ苦しい状況でもしょうもないプライドが邪魔をして助けを求められないのだと今だからわかります。
ナイフ事件勃発
そんな問題だらけの真っただ中ある事件が勃発します。それが「ナイフ事件」。
ある日、通常通り勤務しお客様の施術を終え受付に戻ってくると1本の予約の電話が鳴りました。受付には私しかおらず嬉しいことにお店は混みあっています。次の空き枠を確認し、お客様にその時間をお伝えし、予約を取りました。
これだけ聞けば普通の出来事なのですが、この時そのままでは空き枠がなかったのであるスタッフの休憩時間を1時間ずらして予約を取りました。日本のDr.ストレッチで働いている人はわかると思いますが、お店ではよくあることです。
それも最後まで休憩がないとかではなく3時間働いて休憩の状態を、4時間働いて休憩に変えただけ、全く問題のない事だと思っていました。そして私が施術を終えると1人のスタッフが近づいてきて「トム!今日は帰って!○○がナイフ買ってきた!」というのです。
もう全く意味が分からないです!ナイフ?なんで?何のために?そして何に怒っているの?頭の中は疑問の嵐です。もうここまで来たら自分の発言・態度・行動・人格を本当に見直す以外、現状の解決策は見出せませんでした。
この時スタッフが怒った理由は「友達とランチの約束をしていたから」でした。この会話だけ切り取れば場違っていなかったんじゃないかと思います。
しかし、重要なのはここに至るまでの人間関係です。友達とランチに行けないからナイフを買ってくるなんてある程度でも人間関係が出来上がっていればあり得ないことで、せいぜい激怒するにとどまるはずです。
それがこの時の地に落ちた人間関係が形に現れたのがこの「ナイフ事件」となったのだと思います。幸いけが人も出ずに、話し合いで解決ができましたが、もし誰かの身に何か起こっていれば今こうして会社を継続できていない事態に繋がっていたかもしれません。
この時にもう一つ学んだことは時には、「無理を認め、人に頼る」ことの大切さです。お店で起こる問題を解決するのが店長の役目だという責任感からずっと「無理」ということを見極めきれずにいました。それで成長して解決できればいいのですが、今回のようなことに発展する場合もあります。
だからしっかりと自分の実力は正しく評価し、必要に応じては適切に周りや上司の助けを借りることが非常に大切だと学び居ました。この時相談に乗ってくださった橋口さんには本当に感謝です。
思考停止
この事件をきっかけに混沌とした悩みの迷宮へ入っていきます。何を考えても店舗の環境が悪いのは自分の責任。発言・行動すればするほど問題が大きくなっていく気がしました。どうせ悪くなっていくのであれば何もしなくても変わらんだろう!そんな気持ちすら芽生え始めます。
しかし、こんな状態にも関わらず自分の気づかぬところにある小さなプライドを捨てきない。任されてきた以上やり切らねばという責任感と、過去の自分へのプライドです。それでもただひたすら時間が過ぎていきます。理想を追い求めようというエンジンは、停止…しかけていました。
毎日現場では少しでも良くしようと奮闘する。その一方で終わってみたら、現実逃避したくて毎日カジノに行ってみたり…。それでまた大負けして「何やってんだよ。自分。」と情けなくなる。それでも頭の中にはずっと「このままでいいのかな」って気持ちが引っかかってて、家に帰ってまた必死に頭使ってる。
この時期はお店とも向き合い、自分とも向き合っていた期間だった。自分と向き合えば向き合うだけ、自分のダメさに嫌気がさす。なんでたった14人をマネジメントできないのだろうって。
この落ちている状態からの回復の仕方って色々あると思います。私はそこから抜け出すのに時間がかかりました。その間仕事に手を抜いたつもりは毛頭ありませんが、いいパフォーマンスができなかったことは間違いありません。
このどん底状態の抜け方については、先日読んだドン・キホーテ安田会長の著書「安売り王一代」には、「とにかく家から一歩も出ない。ずっと室内ですべての情報を遮断し、自分と向き合う」なんて方法も上げられていました。
私がどのように抜け出したかはこの後に書かせていただきます。でも仕事が変われば変わるほど、役職が上がれば、上がるほど時間をかけて悩んでいられません。その考えるエネルギーを100%理想に向かう力に当てて初めて掴める未来だと思います。
この経験から学んだことは「絶対に理想を忘れてはいけない」ということです。これを見失った時点でマイナスの方向に物事が進みだしました。どんだけ苦しくても、たとえスタッフが大量に辞めても、ナイフを持ってきても、「どんなお店(会社・自分)を作りたいのか」を持ち続けなくてはなりませんでした。
神様からの怒りの鉄槌
前十靭帯断裂
小さなプライドが捨てきれない。しかし、もっと深く自分と向き合う時間を作らない私に神様は痺れを切らしました。忘れもしない。2018年10月1日。9月末締めのフュービックにとって今期スタートの日。
「気持ち新たに頑張るぞ」と節目を利用して切り替えようとしていた私に神様の鉄槌が下りました。勤務前に参加した日本人のサッカー大会でまさかの「前十字靭帯断裂」という大怪我をしてしまいました。頭が真っ白になりました。
今まで少なくとも自分でストレッチをして、お客様にサービスを提供できていたから保たれていた自分の存在価値がこの時音を立てて崩れ落ちました。いったい私に何ができるのだろうか…。もうシンガポールにとって無意味な存在なのではないか…。
そんなことでネガティブな事で頭がいっぱいです。でもこの時間が私にとって非常に重要な時間となりました。施術ができなくても存在価値を作らなくてはいけない。自分は何のためにシンガポールに来て、どんなお店、そして会社を作りたいのか。それを必死に考える時間が生まれました。
どん底に落ち込むと這い上がるしかない。人はずっとネガティブにはいられない。「ネガティブな状態では生きていけない」のだと思いました。だからここまでどん底に落ち込むと考えることは自然とポジティブなことに変わってきます。
その為にもとことん自分と向き合う時間をしっかりと作ることが非常に大切です。その時間をしっかりと取らずにいた私には神様が「怪我」という形でプレゼントしてくださいました。どんな物事にも意味がある。その物事をどのように捉え使うかは自分次第です。
F1表彰式
そんな真っ暗のトンネルから抜け出しつつあった自分に訪れたもう一つの転機。それは会社の最大イベントF1(Fubic grand prix)です。年に1度会社を上げて行うイベントF1では毎年No.1の店舗や、活躍した社員、そしてマネージャーの総選挙などが行われます。
その中で最も名誉ある社長賞(MVP)を昨年2016年頂いておりました。まさに私が一番輝やき、調子に乗っていた瞬間です。それが1年経った今、空っぽの状態でもがいています。しかも、その場に行くことすらできずに、シンガポールで中継だけ見ていました。
こんなに悲しいことはありません。そしてこんなに悔しいこともありません。自分の情けなさと、社長への申し訳なさで胸がいっぱいでした。シンガポールに行きたいスタッフがたくさんいる中で社長に選んで頂いたにも関わらず現状はこんな状態。やるせない気持ちでいっぱいでした。
その時に何かが吹っ切れました。「ここからまた挑戦者としてハングリーに頑張ろう」そんな気持ちでした。私はこれまでずっと挑戦者でした。そしてハングリー精神をむき出しに生きてきました。それがどこかで失われつつあったことに気づけずにいました。
胡坐をかいていないつもりが、胡坐をかき。守りに入っていないつもりが守りに入り。ちっぽけなプライドを守るためにどんどん小さな人間になっていました。その時に橋口取締役からの「器の大きな人になりなさい」が蘇りました。
「器の大きな人」これがまさに店長にとってはキーワードであるように思います。この時に橋口取締役から伝えられたメッセージがもう一つあります。
「いつもいつも周りを勝たせてあげて、一番肝心な大きなタイミングだけ勝ちを譲ってもらえる人間関係が大切です。」
自分が目立ちたい。自分の成果が欲しい。自分の結果が欲しい。この自分が、自分がという気持ちがある時点で「器」なんて絶対に大きくならない。そんなものは全部人にあげてしまっていい。周りがいっぱい成果を上げて、結果を出してHappyになってくれる事ほど嬉しいことはない。
自分のプライドを守りたいがために、マネジメントにとって大切な根幹の部分を見失っていました。毎日自分と向き合って周りとの物事を進める主語が「自分」になっていないかをこの時から向き合うようになりました。「自分、自分」言ってるうちはまだまだ器が小さいぞ!
大晦日のファスティング
F1の日から気持ちは完全に吹っ切れて前に進む力に100%を注げるようになりました。その時決めたことが「10個これを形にした」という物を作る事。そう決めて動き始めました。小さいものから大きいものまで、何かを形にしようと思ったら時間が必要です。
それを10個となると1分たりとも止まっている時間は許されません。そうやって前に進むと不思議なものであんなに曇っていた視界がぱっと切り開けます。やらなければいけない事、やりたいことが次々に現れ、気づけば大量に抱え込んでいました。
困ったことに頭がそれらを処理しきれずに、何から手を付けていいのか、どれをどう処理していけばいいのかがわからなくなっていました。でもこれは私にとって非常に嬉しい悩みで、昨年から考えれば非常に前に進んだ悩みでした。
その時に出会ったのが小林取締役の「ファスティングマスターの資格取りました」というツイートです。これを見て2017年の邪気と共に頭も体もすっきりしようと思い年末年始で3日間のファスティングを行いました。
これが私にはすごくあっていました。頭がスッキリと冴えわたり、集中力が増します。栄養が少ないから、体が自然と無駄を省くのか、やってることの中から必要ないことが自然と浮かび上がってくるようでした。
そしてファスティングが終わるころには、3㎏体重が落ち、目の前の仕事はきれいに整理され、頭は冴えわたっていました。そこから毎月月末月初はファスティングを行い、頭と体を整理しています。その為、この期間で大まかな1か月の仕事が整理でき、向こう1か月何をやらなければならないのかが明確になっています。
人それぞれ自分の自分の頭の整理方法があると思います。その方法をしっかりと自分で知っているか、知らないかは重要に思います。私はファスティングが非常にあっていました。悩んでいる人には是非試してほしいです。
役職が変わったり、仕事を任されたりすることは非常に嬉しいことですが、その反面わからないことだらけで混乱します。しかもそれが初めての事だったりするとなおさらです。だからこそ自分の頭は可能な限りスッキリと整理しておく必要があります。
これはサッカーの経験で言えばセレクションに近いです。どんなタイミングでどんなチャンスが与えられるかわからない。だからこそどんなことにも対応できるように準備をしておかなくてはなりません。準備をしていないで挑み、失敗すると次にいつチャンスが巡ってくるかは分からない。それがプロの世界という物です。
まとめ
こういった2年間の経験を経て今回店長と役を退きました。私の2年間の経験をだらだらと書き殴ったのは1つに私自身がこの経験を忘れずに将来振り返って同じ過ちを繰り返していない為でもあります。その中から読んだ方が1つでも、2つでも、学ぶものがあったり、今後の生活に生かして頂けたら幸いです。
また店長として学んだ3つの大切なことは別途記事としてまとめましたので、興味ある方はそちらもご参照ください。
こんなに長い文章を最後まで読んでくださった方。本当にありがとうございます。私自身ここから新しい世界への挑戦が始まります。こんな若くしてこんなチャンスが与えられた幸せと責任は大いに感じ、しっかりと小さな物事に感謝をしながら1つ1つ進んでいきたいと思います。
これから私が何をするのか、そしてどんな思いで行うのかなどを含めた内容はまた記事にします。まだまだ未熟者ですが、これからの挑戦も応援して頂けたら幸いです。
最後までありがとうございました。
これからも是非こちらのブログにお立ち寄り頂き応援して頂けたら幸いです。少しでも、このブログを通して何か皆様にプラスの価値が提供できますように…
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Tom Yoshida