自分の言葉に責任を持つ
はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。
新約聖書の一節である。
キリスト教徒ではないが、そういわれるくらい言葉には大きな力があると思う。
今回はそんな【言葉】について書こうと思う。
これを書くに至った記憶に残しておきたい出来事があったのでまずはその出来事から…。
冗談のつもりだったのに…
事の発端は3月だっただろうか?
1人のスタッフが冗談のつもりで放った一言。それが少しずつ大きくなり最終的に「訴えてやる!!」というところまで発展した。
その時は間に社長が入り、「二度と同じようなことを言わない」という約束で収束した。
そして7カ月何もなく過ごしてきた
…
しかし一昨日。
「結局何も変わってなかった!また言われた。」とメッセージが来た。
以前同じことがあっただけに今回は最初からかなりシリアスな雰囲気を醸し出していた。
今回のシチュエーションは前回とはちょっと違っていた。
今5人がライセンス取得の為にマッサージのコースを受講している。事件はそこで起こった。
先生の発言に対して最初に話題を最初に切り出したのは、訴えてきた本人だ。
それに対して、名指しで返した返答が問題だった。
だから言われた本人にも言い分があった。
「お前が最初に言ったじゃん。」
この時も冗談のつもりで放った一言が一瞬で大炎上を引き起こした。
事実なんてどうでもいい
事態を収拾しなくてはならないので、1人ずつ呼び出し、話を聞いた。
お互いに言い分があった。もちろんだ。
そしてその場にいたメンバーにも聞いた。
でも話はみんなやや食い違っているし、不明確な部分も多い。みんなが自分の都合のいいように捉えたいし、自分にとって不利益なことは「うん」とは言いたくない。
状況をビデオに録り、証拠が残っているわけでもない。
それぞれの記憶にしかストーリーは残っていない。
もちろん
何が事実で、何が解釈なのか。
これを明確に分けて物事を判断することは非常に大切であると思う。そしてこれまでも意識してきたし、これから意識していきたい。
でも、
時としてすべての真実には意味がないことがあるということも学んだ。
もし仮に、
言い出したのが訴えてきた相手で、言った相手は冗談で言ったことが証明されたとしよう。
それを明確にしてどうなるんだ?
それを認めさせたところで何か変わるのだろうか?
何も変わらない。
むしろそれをしようとすると話はよりこじれることになる。
それが今日の教訓だ。
お互いに別々に話を聞き終わり、
訴えた側は冷静になり、今回の着地として謝罪と今後二度とそういった発言をしないことを求めた。そして相手も非を認め、謝るという話をそれぞれに付けた。そして僕は二人の立会人として何も介入せず見届ける役として本日のミーティングを迎えた。
仲宗根社長からも
「会社としてはこれ以上は守れない。もし許さないとなり、これ以上に発展するのであればしかるべき措置を取ろう。」これが会社の意向であった。
謝ってすべてが解決するはずだった。
でも、
終わらなかった。
きっと納得していなかったのだろう。(これを腑に落とせずに場を迎えたのは完全に僕の責任だった。)
「まず、事実を明確にしよう。その上で謝罪する。」
それが第一声だった。
終わった。と思った。案の定大炎上。
お互い怒りは収まらず、何が事実で「言った。」「言わない。」
「○○に聞いてみろ!」
そんな言い合いが小一時間続いた。
「警察と裁判のもとで戦おう!!」
もう無理だと悟った。介入しないつもりであったが話し合いを止めた。
お互い息が上がっていた。
「二人とも今日は帰っていい。外でやってくれ。俺はこれからも二人と一緒に働きたいから二人の話を聞いたうえで警察に行かなくてもまだ歩み寄れると思ったから今日この場を設け、立ち会ったけど結局解決できなかった。これ以上の話は警察なり弁護士のもとでやってくれ。」
絞りだした一言だった。
ずっと話を聞いていて改めて感じた。
すべての事実を明確にすることなんてどうでもよかった。
重要なのは、
「誰かが嫌なお思いをし、それが2回繰り返されたこと」以上だ。
その一点真摯に受け止め、「ごめんね。もう言わないよ。」これで終わるはずなのだ。
でも誰だって自分はかわいいし、守りたい。ましてや自分に非があるなど認めたくない。
仲宗根社長がずっと言っていた。
「謝れる奴が本当に大人で、強い奴だ。」
それを痛いほど感じた出来事だった。僕がしっかりとそれを理解していなかったこと。そしてそれを事前のミーティングで腑に落とせていなかったことそれがここまでまた事態を大きくしてしまった。
少しずつしか貯められない信頼残高
ミーティングを止め、二人に「帰ってくれ」と言い放ち、自分の不甲斐なさを感じた。
もう何も考えたくなくて、二人に背を向けた。
色んな感情が廻った。
こんな問題すら解決できないのか。もし自分じゃなくて仲宗根社長が立ち会っていればこうはならなかったのかな。謝るように話し合いを進めればよかったのかな。なんのために任されているんだろう。二人とも仕事辞めてしまうのかな。二人は今後どうなるんだろう。。。
あれだけ熱くなっていた二人も黙っていた。
沈黙を破ったのは訴えた側のスタッフだった。
「ごめん。5分だけトムと話させて。」
「ごめん。トムにトラブルを作りたいわけじゃなかったの。もう一度だけ落ち着いて話をさせて。」
もう少し話をしたが、そんな内容だったと思う。
そこからは早かった。再度ミーティングを仕切り直し、謝り、良いよと返事があり、握手までして何とか事なきを得た。
その後二人と別々に話をした。その時に2人から言われたことは一緒だった。
「いつもありがとう」
見えない形で少しずつしか貯金できない【信頼残高】。
それが目に見えた瞬間だったように思う。
会社でもそうだが、だれか一人でも自分が信頼を寄せ頼れる人がいる事。
その信頼を裏切りたくない気持ちが、マイナス方向へ働く力へのストッパーになるのではないだろうか。
言葉は凶器にも愛にもなる
学校や職場でのいじめ問題もそう。最近話題のハラスメントもそう。
今自分の放つ【言葉】が持つ影響は非常に大きい。
「体の傷はいずれ癒えるが、心の傷は一生残る」
自分が冗談のつもりで放った一言が、相手を死に追いやるかもしれない。
だから立場が上がれば上がるほど、自分の放つ言葉に最新の注意を払う必要がある。
しかし、言葉は逆もありうる。
どん底の窮地にいる人を救うこともできるし、一生勇気を与え続けることだってある。
高校時代の監督に言われた言葉が今の行動の指針にもなっている。
時には凶器に、時には勇気を与える。
そんな言葉に形がないし、期限もない。
しかも厄介なことに捉え方は相手次第で、自分が意図したことが、意図したように伝わるとは限らない。
しかも、何気なく言った一言が刺さることだってある。
そんな【言葉】の怖さとすごさを非常に感じた一日であった。
自分が言った一言が目の前の人の未来を変えてしまっているかもしれない。
自分が放つ言葉に責任を持って生きていこう。
長々と呼んでくださりありがとうございました。
まだまだ若輩者ですがこれからもよろしくお願い致します。
Tom Yoshida
豊かな人生とはあらゆる体験をする事!だから、いい体験しているなぁ!
とお母さんは思いました。
でも、繰り返しは同じ体験としてカウントされます。繰り返さない為には、その時の感情をしっかり味わい尽くすこと。
不甲斐なさ、情けなさ、後悔、怒り、悲しみ、惨めさ…自分の中にどんな感情あるだろうか?ある感情をしっかり認めたら、
この気持ちを尊重する‼︎と自分に言ってみよう。
そしたら、その気持ちに応じる力が湧いてくる!
悩んで、苦しみながらも進む事を諦めない図夢を誇りに思い、いつも勇気もらってます。
どんな時も応援しているよ
いつもありがとう。最高の経験をさせてもらってます。
確かに同じ失敗を繰り返さない為に今の出来事をしっかりと噛みしめて進んでいきます。
これからもよろしく。
いや~~難しいですよね!!Tomさんご苦労されていますね。Facebookには、「大人になりきれていない」って書きましたが・・・。当事者だけだと、単なるbuttleになってしまい、収集がつかなくなる。多分、喧嘩の仕方を知らないのか?(怒りや不快感は思いっきりぶつけるものの、相手の言い分も聞き、謝罪する余地を与える。自分にも非があるのであれば、非は非として認め、素直に謝罪する。謝罪されたら、それ以上怒らず、受け入れ、許す。)どうやって身につけたのか?子供の時代に、友達と戯れる中で、或いは、部活の中で、揉まれながら、身に付いたのかな? Tomさんの場合は、如何ですか?
私の好きな山本五十六の語録に次のような一節があります。
「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」
僕はサッカーという環境で身に付けてきたように思います。何度も友達とぶつかり合い、それでもお互いの意見が行き違い何度もケンカしましたがその中で少しずつ学んできたのだと思います。
そして山本五十六の言葉すごく良いですね。毎日が僕の修行です。