どうも!トムです。
今日も朝一はサンテック店に行き、イフリンのストレッチを受けてきました。
「日本語と英語どっちがいいですか?」と言われて英語で受けてきましたが、日本語でも英語でもあのクオリティーでできれば間違いなくサンテックのスタッフ達はもっと成長できます。
そしてカラダもすっきりしたので今日も「事業計画」作成を行っていました。
息抜きにブログでも書こうと思います。
今日も今読んでいる「Insight」の続きをまとめていきます。
本当に面白い本で多くの人にオススメしてます。
ざっくり読むための見出し
【本ログ】間違った自己分析は破滅を招く!?
ちょっと強めのタイトルを付けましたが、極論はまさにこのタイトル通りです。
なんでこんなことを言うのかという点を含めて本の内容をまとめた後で、僕自身の経験と感じることをまとめておきます。
本の要約
「自分を知ること」、「自分について考えること」、「自己分析」様々な表現や言葉が使われています。
大切な事はその本来の意味を知り、目的を正しく理解することです。
この本の中では「内省」という言葉が使用されています。
「内省」とは…
自分の思考・感情・意志・行動を意識的に検証する力
このように書かれています。
しかし一方で本のタイトルは「Insight」=自己認識ですから、一見同じような意味合いを英語と日本語で書いてあるようにも感じますが、これらはイコールではないと書かれています。
では何がこの違いを生んでいるのかという点を知ることが重要です。
この本の中では、
内省は自分について考えること。
Insightは自分について知ること。
そして「自分について考える」ことは、「自分について知ること」になんの関係もないと書かれています。
多くの人は、
「人間は自分に関する謎の答えは、自分の奥深くに眠っていて、それを掘り当てることで自分が何者かわかる」
このように思いがちです。
しかし「内省」が自己認識を生むというのは迷信であるだけでなく、
内省をするほどのストレスを感じ、落ち込み、不安を抱き、人間関係に不満を持ち、人生がコントロールできなくなる傾向にあるとすら書かれています。
ではなぜ「自分について考える」という「内省」を行うとこのような事態を招くのでしょうか。
それは「確証バイアス」と関係があります。
人が自分を理解するために自分自身に「なぜ」を問うと、
一番簡単でもっともらしい答えを探してしまいます。
それが原因で本質から目が逸れてしまい、自分自身を知る事の妨げになってしまうのです。
だから自分を知るためには「なぜ」ではなく「どんな感情か?」という問いに変えればいいのです。
何故は周りを理解するのに役立ち、「どんな」は自分を知るのに役立ちます。
つまり人生を豊かにする「Insight」=自己認識とは、
自分について考え理解することではなく、「自分を知ること」なのです。
敢えて言葉を切り分けて本の僕自身の理解をここにまとめました。
こうやって共通言語が身の回りであると、しっかりと伝わりますが単語の意味がしっかりと伝わっていないときっと誤った行動を取ってしまうことに繋がるなと、別の視点で学びがありました。
ここから実体験を書くためにあえて「自己分析」という言葉に置き換えて書いていきます。
僕自身の経験と思い
よく就活生が「自己分析やった?」なんて会話をしています。
偉そうにこんなことを書いている僕自身も学生時代に「自己分析」をしました。
でもどうやってやったかと言われれば、
就活センターという学校の施設を使って相談に乗ってもらったり、あとはOB・OGの方々などに話を聞いたり、質問してもらって、それに応えて「自己分析」に生かしたりでした。
でも今思えばこれって本当に危険です。
仮に自分の身の回りが非常に優秀な人に溢れていて、適切なアドバイスをもらえていたら幸せなことですが、決してそんな人ばかりではないと思います。
何故なら大学受験と同じように、「就活に受ける」ための自己分析を行うアドバイスを受けるケースが多いからです。
もちろん採用されなければ、入りたい企業でのスタートを切ることはできません。
でもここで行った自己分析は決して正しくありません。
何故なら…
それは「自分にとって都合のよい理由を選ぶから」です。
そうですよね。だってその企業に入りたいわけですから!
その為には多少経歴に着色だってするし、
都合の悪い部分は隠すわけです。
そうやって何社も何社も渡り歩いて面接をすれば、結局「自分」ってなんだとなって当然のような気がします。
最初にも書きましたが、
偉そうに今こうしてブログに書いていますが、僕自身就活で何社も受け、何回も着色し、うまく隠し、面接を繰り返し、そのたびに自分に「これが本当の自分だ」と言い聞かせ続けるわけです。
そうやって就活を続け、内定を頂いた会社もありましたが最終的に出た結論は、
「やっぱりサッカーともう少し真剣に向き合いたい」です。
結局何だったのか。
この就活と言えば「自己分析」みたいなイメージがあります。
しかし自己分析が大切なのは、就活の時だけはないはずです。
そもそも学生時代も、大人になっても自分を知るということは非常に大切です。
しかしあれだけ就活時に慌てて考えた「自分」という姿。
あれは果たして本当の自分だったのでしょうか。
またその思いや姿は今も変わらないのでしょうか。
そして今の自分を知れているでしょうか。
みんながみんな就活時で止まってしまったとは思っていません。
僕の周りにも昨年、就活生が入りたい企業No.1の企業に勤め、皆がうらやむような生活をしていてもそれを手放して自分の本当にやりたい道へ進んで行った友達もいます。
しかし一方で、
ただ何となくで生きている人も決して少なくないように感じます。
「あの時スゲーデカい事言ってたな~」と思っていた人が気づけば、ちっちゃくあたりさわりもなく企業で働いています。
それがダメということではなく、
それが等身大の自分であり、そういう環境に「心地よさを感じている」という自分に気が付くことが非常に大切です。
つまり就活時の自己分析がずれていたというだけです。
でも本来「自分を知る」ということは一生の課題です。
「自分」という存在は生まれてから死ぬまで、付き合い続けなければいけないです。
しかし一生、第三者として自分自身を見ることはありません。
だから僕自身「自分」に興味がありますし、「自分を知ること」は非常に大切であると考えています。
まだまだ客観的に見れない事ばかりですが、日々学びがあり、非常に面白い。
少しずつ新しい「自分」と出会っていきたいです。
そしてその為に必要なのが他者からの「フィードバック」と、「自分の記録」であると思います。
自分は周りから見るとどう見られているのか。客観的に見てどうなのかというフィードバックがないと、自分の感覚や考えとの違いに気が付くの非常に難しいです。
それと同時に、過去の自分と今の自分との違いです。
これはしっかりと自分自身が形に残しておかないと、人の記憶は都合がいいように上書きされていきます。
未来の自分が新しい発見を得るために、ありのままの自分を残すことは非常に大切であると思います。
その1つとして今僕はこうやってブログをやっています。
いつもお付き合いいただきありがとうございます。
本日は以上です。
Tom