成功への道のりというのは非常に険しい。
始める前はすごくワクワクし、これなら絶対いけると思い、準備し計画し進める。
そして現在の置かれた環境がさらに不満に感じたり、人の価値観を否定的に捉え、自分の価値観を肯定し、スタートラインに立とうとする。
そのスタートラインは新たな大学生活かもしれないし、就職かもしれないし、起業かもしれないし、付き合うことかもしれないし、海外に行くことかもしれない。
ただ新たな何かが始まることは間違いない。
そのスタートラインは新たな大学生活かもしれないし、就職かもしれないし、起業かもしれないし、付き合うことかもしれないし、海外に行くことかもしれない。
ただ新たな何かが始まることは間違いない。
しかし、いざスタートの時間が近づいてくるとこれまでの景色は一変する。
これまで華々しく、最高に思えていた未来の景色が、急にいばらの道に見え始める。
もしかしたらうまくいかないんじゃないか、考えが浅はかだったんじゃないかと考え始める。
それでも刻一刻とスタートの時間は近づく、それと同時に霧は濃くなり、いばらの道すら見えなくなる。
多くの人はこの時点で恐れをなして挑戦することすらやめてしまう。
スタートラインに立つことなく、挑戦を辞める。
別にそれが悪いわけでもなく、賢明な判断だったのかは誰にもわからない。
ただその過程での準備や動いた感情は一生心に刻まれる。
それはもしかしたらつらい記憶として残るかもしれないし、良い記憶として残るかもしれない。
厄介のことにその記憶すらも時経て変化し続ける。
結局誰にも正解はわからないし、その瞬間の正解が一生の正解かもわからない。
同じ出来事が起こっても幸せだと思う人もいれば、不幸だと感じる人もいる。
きっとそんな程度のことでしかない。
そんな様々な葛藤を乗り越えて、ごく一部の人間がスタートラインに立つ。
スタートラインにたどり着いた時の姿も人それぞれだ。
ボロボロになってたどり着くも人も人もいれば、無傷でたどり着く人もいる。
自分から立った人もいれば、周りから強制的に立たされてしまった人もいる。
ただスタートラインに立ってしまった事実に変わりはない。
不安の消えぬまま、前が濃い霧に覆われたままスタートラインに立ち、スタートの合図を待つ。
心が押しつぶされそうになりながら、強く自分を何とか保ちながら待つ。
スタートの合図と同時に一気にさっきまでの濃かった霧は晴れ、ものすごいスピードで世界が流れ始める。
さっきまでの不安とか考えていられないくらい一気に。
無我夢中で走り続ける。
自分が最初に信じたゴールを信じて、ものすごい速さで走りすぎる日々をただがむしゃらに走り続ける。自分の体調とか、彼女とか、家庭とか顧みずまっしぐらに。
ただふとした時に立ち止まる。
自分はどこに向かっていたのか、なぜ新たなスタートラインに立ったのか、どんな世界を目指していたのか、始める前にワクワクしていた気持ちはどこから来ていたのか。
なんだかわからなくなることがある。
最初に目指したものが正しいとは限らない。
走ってる中でしっくりくるものを見つければいい。
だけどたまにはどこに向かっているのかは確認したほうがいい。
無我夢中で走り続けても、見当違いの道を行っていたらゴールにはたどり着かないから。
だから時々立ち止まり、立ち位置を確認する。
そして全力でまっすぐ走る。
でも大概全力で走っているときに自分の報告が間違っていることに気が付けない。
もちろん正しいと信じ、突っ走れなきゃ新しい道なんて作れないけど、一方で全力で疑う気持ちも同居させなけ得ればミスが大きくなる。
そんなときに向かう方向がずれた時に指摘してくれる仲間がいると走ることにエネルギーを多く使えるようになる。そういう存在は成功するためにはすごく大切だと思う。
そういったことを何度も繰り返して、どんな困難と出会ってもくじけなかったごく一部の人だけが成功手にする。ただどんな人も、それぞれのゴールを成功を今も走り続けている。
最近、人生の相談や転職の相談、ビジネスの相談を受けることが多い。
コロナなどの大きな出来事を経て、現状を考え、人生を考える人が多いのかもしれない。
そんなときに友達や仲間の挑戦を心から応援し、時には道が反れていると感じたら気づきを与えられるような存在に少しでもなれたらなと思う。
そして僕自身も悩みながらも、全力で挑戦し続けたい。
そんな人たちに囲まれた生活のある今が幸せだ。